花、花、花…

f:id:prototype1917:20210416174711j:plain一年前に撒いた種が、
どんな花が咲くかも知らないミックスシードが

花畑になりました。


でも所詮地植えではなく鉢植えなので、
私が常に水をあげない限りすぐに枯れてしまいます。


どの子も可愛い、どの子も愛しい 。
メダカも可愛いみんな幸せになってほしい。
可愛い可愛い。


でも生き物が好きな人は、
生き物を飼育したり 栽培したりしてはだめだ。


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不動産に 関しては不動産屋からの いろいろな電話メールのやり取り それと同時に新しい新居探し、 ここの賃貸の引き払いなど

考え出すととにかく緊張で不安で


いつもドキドキしていて心拍数が
全速力の後みたいで
心が休まる暇が全くない。


眠れない疲れても 4時間弱で 目を覚ましてしまう。 もっと寝たい、
でも色々仕事をしていて夜遅くなってしまうから朝起きる時間を繰り下げるわけにはいかないし 自動的にどんどん短くなっていく。





でもこの短い睡眠時間はもう1年ぐらい続いているから私はもうこういう体質なのだろうか


でもとても緊張状態で ドキドキして疲れる
息が苦しい 肩が硬くてバキバキで猫背になって固くなっている

息ができなくて苦しい

古民家探し あの家にみんないた

家の整頓の段取りと同時に
新しい家さがし
古民家を考えている

整頓の本を読みながら眠ってしまった


私は実家にいた

お父さんもお母さんもいた




父も母もそれぞれ思い出の物を見たり出したりしていた


父も母も泣いていた あるいは泣くのをこらえていた

私は母を抱きしめる必要はないなと思ったけれど 何かとても辛そうだったので抱きしめてあげた


セキセイインコまでカゴの中で生きていた

セキセイインコを抱きしめた
暖かかった柔らかかった



私は生きていたインコを抱きしめて
餌も水も無なかったのに生きていたんだね
かわいそうに と 言っていた


嬉しそうに スリスリと寄ってきた


弱っていたので脱脂綿に含ませて水を飲ませた

本当に安心したように丸くなって私の手のひらの中に収まった
ふわふわで暖かかった



お父さんが仏壇の灰を サクサクしていて

お線香をあげて 鐘を鳴らしたら

「 錆びて音が鈍っている」という
実家の仏壇の一番綺麗にしてあるところなので実際には錆びていないのに夢の中ではなぜか錆びていた


夢の中で 私が 掃除をしたら仏壇の鐘がとても良い音を立てて
チーンと鳴った

いよいよここともお別れか、と
みんなで一緒に話した


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新しい器として 空き家物件と古民家を見ている

きっとその家にも色々な思いが詰まっている色々な人たちが暮らしていた 想いと夢と愛情と悲しみと

そのご家族もその家で亡くなったのかもしれない
私の父だって家に帰りたいと 入院中ずっと言い続けていて最後は家で死にたいと言っていた

家というのは 人によっては そういうものだ

私はこれで帰る家はなくなる
私は孤独死かあるいは
ベルトコンベアに乗せられて最後
知らない病院で無縁仏になるのか


浄光寺のお寺さんが言ってた通り 死んだらおしまい 生きている間に 楽しまなければいけない

次の家は私のついの住処になるのだろうか


実家という思い出の塊と心中しようということも夢見たけれど
私はあそこを卒業して 次の土地に行きたい それをみんな許してくれると思う 喜んで送り出してくれると思う そう思うことにした

抜歯・ふみふみBEST of Houzz凄い‼️

どうしても駄目になってしまった歯を抜歯した 今年入って3本目か 一気に来ている

昔は 今のように予防歯科が発達していなくて 悪くなったらどんどん 神経を抜く治療が中心だった。 神経を抜いたら何抜歯へのスタートだ。
そうして、今になってこうやってとうとう抜歯 ということになっている。

出血は止まっていないけれど 花粉の時期で気持ちが悪いのでやっぱりお風呂には入ろう。

あまり長く温まらなければ大丈夫だと思う。

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昔この家の整理整頓で、
検索で良さそうな 感じの整理整頓アドバイザーにいきなり依頼した。

その時は無名で掘り出して見つけた感じで
レビューも入ってなかったんだけど
今見たら たった2年(くらい?)の間にレビューが 89も入って、
しかも すべて満点と言うすごい高い評価で、
さらにベストオブハウズまで受賞してて 、驚いた。
今でもたまに連絡する。

一番最初のレビューを私が書いたおかげでそれから注文が入るようになって
今日の私がありますってことを言ってくれる。

確かに当時はレビューが一つも入っていなくてまだ下の方にいた。
ファーストレビューということで結構緊張してWordで何度も推敲して書いてからレビューした。
私がとても 実際に心の底から感謝した内容と具体的なアクションプランを提示してくれたこととか、
少しは意識的にこの人に頼みたくなるような文章を書いたけど、 どれも心の底から思ったことを素直に書いたものだった。


でもそれがきっかけでここまで伸びたというのは、
きっかけにすぎず、間違いなくこの人の実力だ。
最初のレビューを私が書いてくれて良かったと言って未だに感謝してくれてて
本当に良かった。

ふみふみ、凄い❗️
これからどんどん有名になってまあもうすでに有名かもしれないけれどますますいろんな人を助けていくんだろうなと思った。

この人の最初のレビューを書けたことを、
私は誇りに思う。

自分の人生を生きる。ひとと同じことが出来ませんが、それでよし。


ひとはひと、

わたしはわたし。

 

比べるべきは他人ではなく、過去の自分。

一年前の自分、10年前の自分。

 

 

わたしはずっと「普通に見せよう」「あわよくば良く見せよう」

それにエネルギーを使ってきた。

そういうの、もうどうでもよくね?

過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分。

 

 

 

わたしは、みんなが普通に出来る、普通のことが出来ません。それを受け入れる。

無理に普通の振りをする必要はもう無い。

他の人より得意なことや、良いところもあるはず。それでいいんちゃう?

 

 

 

 

今件でいえば、

わたしはどうしても片付けが出来ない。捨てられない自分で良し。

大好きな物が、好きで好きで、大好きなものに囲まれて生きたい。

 

 

(結局人と同じようにしなきゃ、という延長上に「片づけなきゃ」というか「捨てなきゃ」ってのがあった。それって他人に批判されたくないとか、自分をもっと良く見せたいとか、他人にコントロールされながら、他人をコントロールしようとしていた。)

 

人並みと同じに捨てる必要はなし。

ストレスを感じてまで無理やり断捨離する必要はなし。

自分で取捨選択していかないと、結局自分が後悔する。

だから、家という器を大きくする。

 

 

もう母を含む他人にコントロールされない。

わたしも、他人を自分の都合よいようにコントロールしようとしていた。

 

他人はわたしのために生きているのではない。

わたしも他人のために生きているのではない。

過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分。

 

自分の人生の全ての責任は自分にある。

わたしは独りで生きる覚悟をした。

だれも頼らない。他人に期待しない。他人に期待されない。

そのうえで、人と関わる。それは素晴らしいことで、感謝ばかりで、わたしは幸せだ。

 

 

 

ひとと同じことが出来ませんが、それでよし。

他人のではなく、自分の人生を生きる。

 

帰宅後の動き

4/3 土曜日

4月2日、新幹線で帰宅した夜すぐに植物に水をあげる。水を換える。

水槽の水替えをする。本当に心配だった。朝までかかってしまった。

 

魚たちはみんな元気だった。

エサ切れも水質悪化もなし。ただ、水量が蒸発で減っていたので次回は蓋をある程度ちゃんとしないとだめだ。

 

プランクトンはほぼ全滅だった。大き目の水量があるものと、加温した水槽は大丈夫だったが、それ以外はだめだった。

 

 

ベリーが、エビ用のブロックに挟まって死んでいた。
私のミスだ。以前べ太郎のときにあった事故だったのに。今まで近づかなかったので考えもしなかった。

東京が延期しなければ、発見が早くて助かったと思う。

かわいそうに、どんなに怖かったろう、痛かっただろう、不安だっただろう。

ベタは数日餌を食べなくても死なないので、おそらく抜けようともがいた傷を負ったことからの感染だろうか。

泣きながら庭に埋めた。

 

眠れない。疲労困憊しているはずなのに、眠れない。

 

3日朝、ラインやりとりのある康子さんが、私の様子を心配してか、電話をくれた。

 

あちらは税金のことで大変らしい。そりゃあ、あっちは数億のレベルだから大変だろう。工場跡地は駐車場にしたという。

彼女はお金と屋敷に関しては一生不自由はないだろう。

康子さんはうちの親族のよそ者だから、なんとなく居場所がない。嫁いだ時からそう見えた。今もかもしれない。私とは当時から仲良くしている。あちらが10歳以上年上だけど、親族の中では年齢も比較的近い。彼女は純で優しくてわたしは好きだ。

 

東京の荷物を保管する倉庫をさがすつもりだったが、なにげに隣に話したら、近所に空き家があるとのことで、いきなり解決した。月4万。すごいボロだったけど、掃除すれば使える。天井が垂れて落ちてたけど。

 

家の植物たちは花盛りだった。「お前咲けるのか!?」と知らない植物まで咲いていた。すべてが満開。あふれるようだ。

 

植物、魚のお世話は普段は喜びだが、あまりにも今回は負担になる。愛しい子たち。いてくれてありがとう。目を離せるのは5日が限界だと思った。事故がありうる。花も心配だ。こまめに行き来するのに夜行バスを使うか、長期滞在するために、近所の何でも屋さんを雇うか(一時間4千円+出張費)。いっそこれを機に手放すか。

 

 

4/4

やっと少し眠れた。というか自動的に6時台に起きてしまったので強制的に二度寝した。

時々でいいから6時間くらい続けて眠れるようになったらいいのに。何で疲れてるのに眠れないんだよ!

理想は7時間だけど、そんなのここ数年頑張っても無理だった。寝むれるようになりたい。もっと!睡眠不足は鬱が酷くなる。生産性も落ちるし、百害あって一利なしだ。

 

睡眠薬は少量で聞くタイプだが、認知障害が出るので避けたい。

今は認知間違えると命取りの契約や判断が続いている時期だ。ミスは許されない。

 

常高寺の住職と話す。何年ぶりだ?やっと和解した。今まで誤解していた。

父の資料を着払いで寄越したことだけは一生忘れないけどね。父には罪はないのに。

色んな知識のある、良い人格の人だった。正直な人だった。わたしが最後、祖母の葬式のときに一晩話した時と同じ印象だった。なーんだ、また母に洗脳されてそれをうのみにしてたのか。わたしはずっと母のでたらめな悪口を信じていて、住職が嫌いになっていたけど、実際話したらつながった。

ちゃんとこちらの立場にたっての墓じまいの話もしてくれた。

 

実は…と案の定、母の異常性に気づいていて、泊まったときの朝食の様子も、お葬式の朝の喪主の妻としておかしかった。数年前最後に父と寺に行ったときも、顔つきからしておかしくて、異常性のある人だとずっと感じていたのがもっとひどくなっていたと告白してくれた。実は毒親で虐待を受けていたと話したところ「そうだろうね」とさもありなんと納得していた。

 

な~~~~んだ、近所もみ~~~んな、親戚も、数回会った寺さえも、

母の異常性に気づいてたんじゃん!!!

人間の情緒の無い人、常識のない人、み~~んなそう語る。

一方、母が悪ぐちばかり言っていた父を悪く言う人は居ない!

 

わたしが判断しなきゃダメなのに、母の嘘をまるっと信じて、洗脳されていた。

葬式だって、お寺に頼むべきだった。母はあの時、常高寺に頼むなと言った。

寺の供養の適当さ(彼女の創作)を何十年も私に聞かせてきていた。嘘つき!

 

墓じまいと、滞納してる(らしい)墓の管理費の話。

そしてまず直近として仏壇の魂抜きをお願いした。

東京へ行く一か月前くらい前に電話でまた日程を調整したい。

 

 人形供養の良い業者が見つかる。

場合によっては 必要としている人にリサイクルもしてくれるという。


ただいまはコロナだから電化製品以外のもののリサイクルが難しい状況だとは言っていたので葛飾区内のどこかのお寺でお焚き上げをしてもらうということになりそうだ。


残置品について全て見てくれるというので 近所だしとても心強い とにかく行動していろんなところにあたってみるというのは必要なことだなと思った


今日は墓じまいの話から 仏壇の魂抜き 残置品特に人形供養関係の事が片付いたと言うか目処が立ってなんだかすっきりした

東京6日目  道が見えたら、あとは前進のみ

朝自転車修理の引き取りの断りの電話を入れる。 もっと長期滞在できるとこに頼もうと思う ダイワサイクルというところが良さそうだ

掃除洗濯


11時 矢 オフィス不動産事務所、 家の残置物量の確認、アスベスト PCB、 土壌汚染の 確認に 柳 さんと 解体業者さん?と 3人でそれぞれ違うルートで来る。

屋根裏にもあることを確認結構な量だと思う 今から7月まで大体4ヶ月かけて私はこの残置物と戦うことになる

今回は残置物とストレスとの戦い 。
そして借地の70坪面積というしかも工場という非常に難しい物件をいかに 私に有利に締結するか戦略と経済の戦い。




やはり思い出のこもったおじいちゃんおばあちゃんからのものを一つ一つ確認するのはストレスだけどそれが役目と決めた


私は不動産は まだ査定も出していないけれども 一番下高そうな矢崎さんを選んだ。

昨夜の オープンハウスでの密談、 今日は正式に岩崎さんの担当のオープンハウスの人と付き合わせてもらう。


私の名前はどこでも聞かれたので多分私は仲介業者からオープンハウスに行く可能性が高いとみている。

仲介を通さなかったのかそれでも必ずオープンハウスに行くとは限らないからいくつかの選択肢を抱えている 仲介業者に仲介料を払ってもお願いすることにした。


査定が出たら 大体の価格が決まってレインズという不動産の サイトに掲載される。


ハウスワインという人でなんと石切
出身、
若江岩田の消防署の前にあるガソリンスタンドは石 というらしくその家の 人らしい 。

東大阪 人にこんなところで会うとは驚いた。

同世代だと思われていたようだが 私よりずっと若い人なので違いますよと言う。
今回いろんな不動産で年齢を言うと驚かれたけれど不動産において若く見られるというのは必ずしも良いことではないということを私は身をもって知っている。
なめられて余分なお金をどんどん取られるからだ。


家はおそらく更地にされて 3軒くらいの建売の分譲になると思う


土壌汚染や PCB やアスベストは専門の業者が見て 多分これは出ないと思うと ちゃんと見てくれた。 安心した。


どこの不動産も努力のは私の持っている古い不動産関係の書類だ どうしてこんなものまで残っているのだ とても大切にとってあって 豚肉几帳面できちんとしたおじいちゃんとお父さんでしたねとどこも感心する
歴史的に見て珍しいハガキの許可証とか実物初めて見たとか そういうことをあちこちで聞いた。

それがあることによって税金がこの数千円1 ものすごく辛い作業になる だけれども安くなるという。

税金は800万円ぐらい持っていかれるそのうちの数1000円だから微々たるものかもしれないけれど
お爺ちゃんやお父さんの徳の高さを感じた

東京駅で矢 さんに正式に依頼した。

私は 最後まで新青土地と迷ったけれど 矢の
機動力 仕事の速さ 柔軟性 それらにかけることにした。

私の命も森家の最後も 預けますのでよろしくお願いしますと
握手をした

おそらく週明けには 骨が出来てくる 、そしたら残置品整理 それと並行して新しい家を探す

今週は平均3時間しか寝ていないし寝ている間もストレスが真っ赤っかだので今日こそよく寝よう

メダカたちが心配だ べ太郎にも早く会いたい
みんな可愛い子達。

花も満開だろう 。


みんな罪がないのに 私のせいで 餌が 一日一回では足りなくて ひもじい思いをしていないか 基本的にオートフィルターがちゃんと動いてくれてるのか 心配でしょうがない
こんなタイミングに限ってメルカリが次々に売れてしまったので 明日は土曜日にやってる郵便局に出しに行こう


とにかく疲れた でも緊張で心臓っtと手足が震えて眠くない。


たくさんの不動産屋に会ったけど
どの不動産屋もそれぞれ収穫があった しょうもなく使えないところで名刺に上から✕印をしたのはマーキュリーぐらいだ。



いや本当にこの6日間は自分でもビックリするぐらいよく動いた 我ながら限界までよく動いた でも眠くない



ベストを尽くした
後悔なし




今までの不動産の苦い経験で絶対に後悔したくなかったから 本当に今回はベストを尽くせたと思う


依頼する不動産も一箇所だけに絞って、
そこに 専任専属契約で お願いした


早ければ 4月には売りに出すから 残置品の整理は7月まで 。

8月には売却


たった一人での精神的肉体的に辛い作業になるのは 想像がつくので短期決戦で行く

長引くほど苦しみが増すのは目に見えているから 慌てず、
でも粛々と進めたい。

道が見えてしまえば、あとは進むだけだ

東京6日目  道が見えたら、あとは前進のみ

朝自転車修理の引き取りの断りの電話を入れる。 もっと長期滞在できるとこに頼もうと思う ダイワサイクルというところが良さそうだ

掃除洗濯


11時 矢 オフィス不動産事務所、 家の残置物量の確認、アスベスト PCB、 土壌汚染の 確認に 柳 さんと 解体業者さん?と 3人でそれぞれ違うルートで来る。

屋根裏にもあることを確認結構な量だと思う 今から7月まで大体4ヶ月かけて私はこの残置物と戦うことになる

今回は残置物とストレスとの戦い 。
そして借地の70坪面積というしかも工場という非常に難しい物件をいかに 私に有利に締結するか戦略と経済の戦い。




やはり思い出のこもったおじいちゃんおばあちゃんからのものを一つ一つ確認するのはストレスだけどそれが役目と決めた


私は不動産は まだ査定も出していないけれども 一番下高そうな矢崎さんを選んだ。

昨夜の オープンハウスでの密談、 今日は正式に岩崎さんの担当のオープンハウスの人と付き合わせてもらう。


私の名前はどこでも聞かれたので多分私は仲介業者からオープンハウスに行く可能性が高いとみている。

仲介を通さなかったのかそれでも必ずオープンハウスに行くとは限らないからいくつかの選択肢を抱えている 仲介業者に仲介料を払ってもお願いすることにした。


査定が出たら 大体の価格が決まってレインズという不動産の サイトに掲載される。


ハウスワインという人でなんと石切
出身、
若江岩田の消防署の前にあるガソリンスタンドは石 というらしくその家の 人らしい 。

東大阪 人にこんなところで会うとは驚いた。

同世代だと思われていたようだが 私よりずっと若い人なので違いますよと言う。
今回いろんな不動産で年齢を言うと驚かれたけれど不動産において若く見られるというのは必ずしも良いことではないということを私は身をもって知っている。
なめられて余分なお金をどんどん取られるからだ。


家はおそらく更地にされて 3軒くらいの建売の分譲になると思う


土壌汚染や PCB やアスベストは専門の業者が見て 多分これは出ないと思うと ちゃんと見てくれた。 安心した。


どこの不動産も努力のは私の持っている古い不動産関係の書類だ どうしてこんなものまで残っているのだ とても大切にとってあって 豚肉几帳面できちんとしたおじいちゃんとお父さんでしたねとどこも感心する
歴史的に見て珍しいハガキの許可証とか実物初めて見たとか そういうことをあちこちで聞いた。

それがあることによって税金がこの数戦やったけだけれども安くなるという。

税金は800万円ぐらい持っていかれるそのうちの数1000円だから微々たるものかもしれないけれど
お爺ちゃんやお父さんの徳の高さを感じた

東京駅で矢さんに正式に依頼した。

私は 最後まで新青土地と迷ったけれど 矢の
機動力 仕事の速さ 柔軟性 それらにかけることにした。

私の命も もり家の最後も 預けますのでよろしくお願いしますと
握手をした

おそらく週明けには 骨が出来てくる 、そしたら残置品整理 それと並行して新しい家を探す

今週は平均3時間しか寝ていないし寝ている間もストレスが真っ赤っかだので今日こそよく寝よう

メダカたちが心配だ べ太郎にも早く会いたい
みんな可愛い子達。

花も満開だろう 。


みんな罪がないのに 私のせいで 餌が 一日一回では足りなくて ひもじい思いをしていないか 基本的にオートフィルターがちゃんと動いてくれてるのか 心配でしょうがない
こんなタイミングに限ってメルカリが次々に売れてしまったので 明日は土曜日にやってる郵便局に出しに行こう


とにかく疲れた でも緊張で心臓っtと手足が震えて眠くない。


我ながら限界までよく動いた 眠くない