寂しくても一人でいたほうが惨めじゃない

人ってのは
誰にも愛されない事や、
誰にも大切にされないのが
当たり前なんじゃないかと思う。

だから稀にそういうことがあると非常に貴重なのではないかと思う。
それともあくまで幻想だろうか。
少なくとも私は自分の不徳の致すところのせいか
誰にも大切にされないし誰にも愛されない。




私だったら好きだったら相手の考え方を理解しようと歩み寄るけれど

そうしない人の方が多いし私は誰にも理解されなくて 理解してもらおうと説明しても聞いてもらえない。


例えば今回鍋作ったが、
水から発がん性物質を除去するのは神経質すぎると言われる。

それで一応私はこうやって大切に作ってるんだということを遠回しに言うとそれは神経質なお前が悪いって言われる。



別にそれらの費用や手間は私が勝手にやってることであって 非難される筋合いはない。
ほっといてほしい。



そうやって一滴づつ大切に作った水であるということを認めなくてもいいから、
とりあえず私が大切に作っているということは理解はしてほしいだけだ。食材やスープを残されると少し悲しくなる。




ちなみに食材は1万円はかかっている。
別にそれは私の勝手だから私が勝手に作ってるんだから
誰にも言わないけれど。




大体こういう食い散らかしパターンが多くて私はとても悲しい。

そしてほとんどの人はそのまま茶碗も運ばず帰ろうとする。
女性の人はそういうことがないんだけれど
男の人は茶碗も運ばないひとが99%だ。




そうやって食い散らかしたまんま残して帰ろうとする人に
それは寂しいということを伝えたくて言葉にしてみるがやはり通じない 。


『一人で洗い物するのは寂しいからちょっと付き合ってー』と言っても
眠いからと言って帰ってしまう。



1%で洗ってくれる人が (と言っても一緒に洗うから半分の負担なんだけれど)
まあそれでも 洗ってくれる人がいたとして、
ご馳走になったんだから洗うの手伝うぐらいは当たり前だよねと
洗ってる間中30回くらい聞かせられてもうそんなに言うのなら洗ってくださらなくて結構ですという気持ちになる。


大体手伝うという言い方がそもそも おかしい。
家事も育児も介護も何故かそのように女性の仕事であって男性はあくまで手伝うという立場だから 今一斉に不満をいう人が増えているんだ。

社会のひずみは女性が背負う形で 成り立ってきた。
日本は女性のそういう忍耐や我慢によって成り立っている。


白人の貢ぎ奴隷国家日本

男尊女卑国家日本


私は自分を大切にしてくれる人や愛してる人と一緒にいたい。
でもそういう人は 残念ながら今まで 見たことがない。
それとも私が人間として魅力がないせいで 素敵な人とはご縁をいただけないんだろうか。



私は別にそっくり同じ価値観の人じゃなくてもよい、ただ話し合ったり歩み寄ったりできればそれでいい。 できなくてもそれをしようと言うだけでよい。



でも 実際にはそこまで贅沢なことを言ったら人と人なんて付き合えないのだろうか。
私はそれは贅沢とは思わない。
私なら好きな相手や尊敬する相手になら、そうする。



しかし残念ながら私の場合は 基本的に『大切にされてないな』とか
『そもそも愛されてないな(笑)』とわかってしまうので
一緒にいること自体が苦痛になってしまう。 惨めだからだ。

リルリルも、岡さんも
ガスのひともみんな みんなそうだ。

帰ってしまった後こうやって私は一人で後片付けをし、茶碗を洗う。

そうするととても惨めになる。


私はそういう人と長時間一緒にいることはできないから
もう一生ひとりでいいか、と思ってしまう。



それはとても寂しいことだ。
だが寂しくてもその方が惨めじゃない気がする。

最近
いつも人が食べ散らかしてその後片付けを一人でしながら、そんなことを考える。


まあそもそも 何もいいところのない
私のような人間が
人に愛されようとか大切にされようなんてのが
大それた望みであって、
生きてるだけで 丸儲けだ