まとめ

まとめてみることにした


私と一緒にいること(空間、時間)自体に価値を見い出さない。
ただ一緒にお茶を飲んだりとか 一緒に魚を眺めたりとか そういう静かな時間に価値を見出さない。 会話が無い時間を楽しめない。
かといって会話も なんとなく興味がなさそうと、思われるものはイントロで断られるので意思疎通の方法がない



→つまり私でなくても良い。




自分の 楽しめること趣味のことに
付き合わせることは大好き。 遠出も苦にならないし 費用も出してくださる。

ここは素晴らしいことで 一見良いことのように見える。
私も最初はそこがいいなと 思おうとしたけれど
結局自分の好きな物を評価してもらうのを期待しているだけでなんか違うと感じ始めた。


自分に共感してもらえることを期待できる事柄以外はそれが一回の遠出でも、観光でも、
利用されると感じる。
私が喜んでくれることなら尽くす、 それが楽しいということがない。

→つまり、 わたしを愛してるわけではない。



疲れたしんどいめんどくさいというのが口癖なのも 聞いていて疲れる。
もうそんなに疲れるなら来なくていいよという気持ちになる。


仕事が大変で余裕がないのも十分理解しているし私はそれに対するねぎらいや感謝も口にしているし 気遣いもしているつもりだ。
たまになら良い本当に疲れた時は口にするべきだ
だけどいつも枕詞のように言われると なんで私が一緒にいるのがいけないかのような罪悪感を感じてしまう。



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奥さんが浮気したのは何か原因があるんじゃないか

とうっすら思った。

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