和歌山スエタカのOさん

動画の声、内容を聞いて想像していた通りのおおらかな真実のある人だった。

和歌山の物件を二つ見た。例の海の近くと、平松欽一という画家の家だ。

海は危険地域というのを抜きにしても高く、補修かしょも多い。

わたしの好きポイントである格子がある、それ以上でもそれ以下でもない印象。

プリント合板の多用も気になり、巨大なボイラー、圧迫感のある家だった。

 

平松家は、質の上下に関わらず大切に使われたアンティーク着物特有のキラキラした糸の輝きのようなものがあった。

増築に増築、改築を重ねた結果の家で、しかし生活しやすさと雰囲気重視の西の格子などセパレートされたキメラのような家だった。マイナスは取ってつけた風呂場の景観の悪さ、庭のどうでもよさ、特徴のひとつでもある下宿通路のような白タイルの魅力の無さだ。コスパの点での価格も高すぎる。倉は収納として頼もしい感じだったが内外とも見た目の美しさはない。

一番の魅力は白黒のコントラストと黒帯の太さ、西向きの格子の謎空間だった。

 

しかし今日の一番の収穫はOさんという人間を知ることができたことだ。

わたしは朝まで緊張のあまり眠れず8時ごろ気絶していて、約束に出遅れた。

無理にこちらに合わせてもらって、営業でもない物件担当のOさんが直々に出てくれたにもかかわらずだ。その上、うっかり降りる駅を乗り過ごしてUターンする羽目になった。3分くらい意識が飛んだ間に、なんと下りる駅を過ぎていた。なにこのワープ。血の気が引いた。

和歌山は本数が少ないので、この2回のミスがそれぞれ1時間のロスを生んだ。

もう、何とお詫びしてよいのかわからない。まじめに必死にやっていてもどうしてもこういうことをしてしまうことがある。しかし今回ほどひどいのは初めてだった。

 

Oさんは連絡するたびにこまめに気遣いのメールを寄こしてくれた。

それが口先だけではないことも伝わってきた。

和歌山の温暖な気候のようなおおらかさと根の明るさと、訥々とした誠実さと優しさを感じた。語彙の豊かな話術を駆使するタイプではない、口下手に近いかもしれないけど、単語ではなく心が伝わってくるひとだった。

 

不動産屋にもこういうひとがいるのか。

わたしはもうあの突然の更新料の請求から売却準備へのジェットコースタ―状態で、緊張の糸が張り詰めすぎてギリギリと音を立てている状態だった。飲み始めた抗うつ剤がないと、不安と恐怖でガタガタと震えが止まらなくなる、たった今もだ。ドキドキして、指が震えて、心臓が震えて、つぶれそうになる。肩が岩石のように硬い。

 

Oさんの、真偽はわからないが「古民家は失敗して購入してもまた売れる」というのには救われた。古民家は普通の投資価値は資産価値ゼロ、むしろ負債の物件だ。でも、骨董的な浪費の価値を見出す人がいればリセール出来るという。

本当ならどれだけ気が楽か!

 

不動産はこれだけ私にたかってくる人がいるのを見てもわかる通り大きな金額が動く。失敗したら取り返しがつかない。その決断の連続の毎日で、相手はぼったくりを仕掛けてくる、見た目は弁護士中身は詐欺師どもだ。

 

Oさんはもう存在してくれるだけで私の救いになった。

 

Oさんには私の特に家への人生観を聞いてもらうことが今回の目的の一つだった。そして、希望の好みの傾向をつかんでもらうこと。

今朝からそれなりの強い雨だった。私はそれを良い天気だと感じた。

 

しかしOさんはわたしが小手先と浪費の力でこの家にやったことを「古民家再生だ」と言ってくれた。絵をほめてくれた。この人は嘘を言わない。美術的な知識で物を言わない。ただ、素直にカッコイイと感じたと、好きだと、自分なら飾りたいと言ってくれた。

才能の塊だと。容姿も美しいと。

そんなに認めてもらえたのはわたしは生まれて初めてかもしれない。

ファンだとまで言ってくれた、友達になろうと言ってくれた。

勿体なすぎて、どうしていいかわからなかった。

 

でもこの素晴らしいひとは、わたしが才能があるから好意を示してくれたのではない。

最初悪いところしか連発しなくて、しょうもない第一印象のときから、ちゃんと受け入れてくていた。わたしはそれが嬉しかった。

あるがままの、ダメな私を批難しなかった、馬鹿にしなかった、一人の人間として普通に接してくれた。それが涙が出るほど嬉しかった。

 

わたしは誰も信じることができない。

心が通じている親友と呼べるレベルの友達もそれぞれ都下、沖縄、コロラドと遠方に3人いるだけだ。みんな女性だった。

 

この世に、わたしを、ふつうに、見下さないで接してくれる男性がいるということ、それだけで、わたしはこれから先の未来に少しだけ希望を持つことができる。

わたしは独りですべてをやり、すべてを背負う覚悟はしたが、それが嬉しいわけではない。一人で暮らし、一人で老いて、一人であるいは闘病し、おそらく精神的に耐えられなくなったその日、いつか自決する。その方法はなるべく苦痛の少ないでも確実な方法が良い、やはりアレだろう、そう思っていた。

 

でも、まだ生きている。

生きることはつらい、苦しい。それが当たり前だけど、

死ぬことと比べたら幸せで完成している。すでにこれが幸せなんだと分かっている。

わたしは死が怖い。正確には死ぬことそのものではなく、死に向かう恐怖が怖い。

でも人は全員一人で生まれて一人で死ぬんだと分かっている。

でも、だれか一人でいい、信用できるひとが、出来れば近くにいてほしい。

だれかを愛したい、そしてできれば愛されたい。一度でいい。

私がこんな障害でも、癌という病気でも、それでもそのままでいいよと言われてみたい。

私の人生の最終的な夢はそれかもしれない。

 

わたしは怖い、不安でしかたがない。

でも生まれて来れて本当にありがたい。

私に命を与えてくれたもの、継続させてくれているもの、そのすべてに感謝しかない。

わたしはわたしの思いを伝えたい。

そこから学ぶひともいる、共感する人もいる、知識として伝承してくれる人もいる、反面教師とするひともいる、それが私の理想だ。本当は発信したい。たくさん人に発信したい。私の思い、知識、学び、愚かな行動、考察、観察、すべてを一人でも多くの人に伝えて死にたい。

 

疲れ切っていても頭の中は高速で回転し続ける。

もう焼き切れてしまう。

今は薬に頼ってでも、鬱状態を乗り切りたい。

 

明日はまた兵庫医大だ。

銀行、郵便局、明日もやることが沢山ある。不動産関係の本も早く沢山読みたい。

今は全力で知識武装して少しでも騙されるのを最小限に防ぎたい。完全には無理だろうけど、あまりに今までぼったくられすぎてきた。

今わたしを守るのは知識武装だ。

そして健康になることだ。

 

わたしは今日から一人ではない気がした。

OさんにとってわたしはOne of them、たくさんの利用者の一人にすぎない。

でもわたしにとってはOさんのような人間が存在すること、それだけで人生が救われた一日だった。